大坪 憲市(おおつぼ けんいち)プロフィール

大坪 憲市(おおつぼ けんいち)

代表取締役社長(家事もこなします)


1960年生まれ
生まれも育ちもお茶どころの八女です。
趣味は料理(療養の約3年間が家事に目覚めるきっかけとなる。)、A型
基本的には読書、映画鑑賞、車(動くものが好きです。)
特技:他人の話を聴くこと。

経歴他

地元福岡県立八女高等学校を卒業後、

長崎総合科学大学工学部建築学科に入学卒業。


学生時代、最初はなんとなく過ごしていたが、突然、3年後半から研究をしたいこと(興味を非常に感じた)があって、宮原ゼミの門をたたく。環境工学が専門であり、そのうちの一つそこは音響に関する設計研究のゼミだった。


運よく、我々が研究する対象建築物が波佐見町という町にあり、当時では珍しく本格的な音響ホールを備える施設が建設中であった。ゼミの先生などがこのプロジェクトにも参加されていたので、本当にいい研究材料だった。


このホールの音響研究を卒論のテーマとして発表したところ、九州建築学会より学会賞をいただいた。先生や仲間たちのおかげでもあるが、この研究に没頭した甲斐があった。


そういう意味では学生生活は充実していたに違いない。

再々就職と結婚と病

丁度卒業の年は就職の難しい年だったが、いったん横浜に就職するも、学生時代の事故の後遺症にてやむなく退社、地元に帰る。(事故の話は省く。)
約2年間の治療の後、家庭教師などをしながら社会復帰を目指す。


社会復帰の為、自宅から少し離れた会社に2年間お世話になり、それから身内の誘いもあり、地元企業(清酒製造元)に入社。
それが縁で今の家内と運命的出会い、93年に結婚。結婚ということを考えてもいなかった人間が、人並みの社会生活を営んでいることに感謝する。娘、息子の二人の子どもにも恵まれる。ありがたい。


その会社で20年間懸命に働いたが、残念ながら体調を崩し退社。
その数年前から体調が思わしくなく、いつの間にか重度に近いうつ病を発症していたのだ。


それから2年間、病気との闘い、退職するまでの会社との闘い、周りには非常に迷惑と心配をかけてしまった。特に家内には苦労をかけた。やっとなんとか仕事をしようという積極的思考ができるようになり、家内の支え、そして子供たち、また当時まだ存命していた父、いつも静かに力になってくれる母、周囲の温かい気持ちに助けられながら、現在に至る。


うつ病とは厄介な病気ではあるが、周りにもずいぶん助けてもらった。特に家内には尻を叩かれながら外に連れ出してもらったりしたことが、早い回復につながったのかもしれない。自分で言うのもおかしいが、世間で言う、うつ病のイメージとは違う明るいうつ病のような気がする。実際には、それはないと思うが、家族がきちんとした態度で対応してくれたことが一番だったと思う。

病気の間そして現在

この間、サラリーマンを続けていたら絶対になかっただろうと思うことがあった。


まず、平日でも家内と一緒に居られること。子供達とゆっくり過ごすこと。親の世話(丁度私の調子が悪くなった年に、父親も心筋梗塞で倒れる。なんとか一命を取り留めたものの、それまで元気だった父親が一気に病弱になってしまう)が時間を気にしないで、できるというなんとも贅沢なことになった。とは言え、しばらくは私の体調も悪くて、周りが大変だっただろうと思う。


それから3年後、父は他界したが、いつも近くで見ていられたことに感謝をしている。


お陰様で今では私も体調が回復して、周りからほとんど前に戻ったねっと言われるまでになった。


やはり、こころとからだを大切にすることは、非常に大事であり基本である。学生時代に心理学で考え方の方向性などを学んだこともあり、療養中に通信教育を経て、心理カウンセラーの認定資格を得た。


自分が病気になったことは、善し悪しは別として、経験としてはかけがえのないものになったと思う。
また、この3年間の中で、息子が剣道を始めたことも私に元気を与えてくれた一つだと思っている。私自身も剣道経験者ではあるが、やはりどこかで息子に剣道をしてほしいと思っていたのかもしれない。


こどもの成長に日々驚いている。

 

そして、いつのまにか大学生になった息子。剣道はしばらくはいいかなという状況である。

本当に、子供の成長は早いけれども、自分自身も年を取っていることを忘れている部分がある。

病気はまた数年前にも襲ってきた。

約半月間の入院で、思いの他大変な状況になることなく、無事に普通の生活ができている。

生きていることに感謝して、家族に感謝して、まずはそこからだろうと思う。

健康であれば何でもできる。ということが本当に身をもって経験させられている。

 

オリジナル絵本の仕事のきっかけ

ありがたかったのは、2年前、地元の有力企業数社からお誘いを受けたことである。


この20年間、真面目に働かせていただいたことが、こんなことにつながるとは本当にありがたかった。しかし、体調は悪いし、また前職と同じような環境の中で働くという自信がなかった。大変申し訳なく思ったが、自分の気持ちに素直になった。


しばらくして、新しい門出をと思っていたところに、家内がこんな仕事あるけどやってみようよ、と言ったのがオリジナル絵本の仕事との出会いだった。


家内は2001年に、市の事業の一端でチャレンジショップという行政の応募に乗り、大好き絵本の販売を1年間した経験がある。子どもたちにも絵本をよく読んであげ、私自身も子どもたちが寝る前によく読んでいた。そのおかげか、絵本の素晴らしさ、大切さを感じていた。自宅にも数百冊の絵本がある。たまに本棚をのぞきながら昔読んであげていた本を手に取ってみると懐かしさがあふれる。


家内は、自分の英語教室とは別にこの仕事をすすめようと考えたのだろう。本当にいつも積極的な家内には感謝している。
将来を考えて、会社を設立した。しかしながら、始めのうちは、まだまだ体調も安定せず、父親の病気のことや、それに付随することに時間を取られ、仕事を正面で受け止めることがなかなかできないこともあったが、やっと最近、環境や体調も落ち着き始めたのでこの機会に本当のスタートがきれそうだ。


今回の病気でのブランクは、はっきり言ってきつかった。
なにが?というと仕事に必要な基本的な考え方、最低会社運営に必要なものを考えるのに苦労をする。自分自身わからないが、どうもこの手の病気は自分自身が頭で考えている以上に精神的ダメージを受けているということを、あまり認識しないようである。どこかで仕事に対して逃避行動を起こそうとしているのだ。だから、これに関してはこれだという知識より、えーっとなんだったっけ?というふうに記憶が戻りづらい。なんたることかと思うのだが、また勉強しなおせばよいと思うことにした。

仕事と目標

まずは生活できるだけの報酬を得ること。
それは自分のため、家族のために生きる基本的なものである。

 

そして、将来は社会に向かって何ができるかを考えること。
できるならば、生涯現役を目指したい。


今まで組織に入って仕事をしてきた。
今からは自分自身の歩く方向がそのまま生活に反映する。

 

努力の上に花が咲くといわれるように、仕事に対する真摯さと、敵は我にありという自分に甘えない厳しさが必要だ。
目標に向かってこつこつと出来ることをしながら、何かしら社会に貢献できるよう努力をしたいと思う。それを見つけることが人生の目標でもある。


この仕事は、基本は絵本を通じてお客様に喜んでもらえること。自分自身、笑顔を忘れないように、またお客様にも素晴らしい笑顔になってもらえるようなプレゼンターとしてのパイプ役になれればというのが理想であり、目的でもある。

一番はやはり笑顔なのだ。

幸せとは?

幸せというのは本当に当たり前だと思うことが当たり前にできることかもしれない。と思っていた。事実、今までは、サラリーマンが当たり前だと思っていた。でも、現実は想像もつかない方向に転がるもので、予期せぬ出来事というのが逆に当たり前なのかもしれないと思うようになった。


東北大震災も自然災害ではあるが、ただ人間の英知が自然に届かないだけで、この自然界に生きるものすべてはこの中の法則に従うだけである。わたしたちは、この先何が起こるか分からないから、今を大切に生きよう、感謝して生きよう、素直に生きようと思うのである。この世では、様々な教訓を学ばせてくれる、大変な犠牲も伴いながらではあるが、それが人としての成長を育んでくれるのだと思う。


心身ともに健康なこと。究極にはこれが一番幸せなことだろう。最近そう感じてならない。


余談だが、結婚した当時、夫婦ともアルコール業界で働いていた。それもあって、私達は、食べること、飲むことが大好きである。私達夫婦にとっては、いつまでも楽しく飲めて食べられることが、幸せかも。

ビジネス以外に取り組んでいる趣味?ささやかな夢?

最近年取ってきて、車の運転もだんだんきつくなってきた。

現在は実用的な車を所有。子供たちも免許を持っているので、運転手もでき夜飲みに行くのが楽しみだ。

でもやはり、昔のマニュアル式自動車に乗ってみたい気持ちはある。もし買えるなら、GTRに一度乗ってみたいという夢がある。

 

また、音響を学生時代勉強した関係と父親がオーディオ好きだったことが影響して、スピーカーなど音の環境とハード(といっても高価なものは買えない)に凝ったときがある。かなりいじくり回して壊したこともしばしば。
ささやかな夢は、父親が残したスピーカーで、音響的にいい部屋を作り静かに聴くことである。

実は最近レコードに針を落とした。

アルバムはビリージョエルの52番街、懐かしかった。

レコードはいい。だけども100枚以上のコレクションがなんと7枚しか見つからない。どうしたのだろう?それが謎だ。

 

その他どうでもいいこと?
高校時代の同級生に黒木瞳がいる。

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