大坪 恵美(おおつぼ・えみ)プロフィール

大坪 恵美(おおつぼ・えみ)

営業&販促担当


1968年生まれ
福岡市で生まれ育ち、結婚を機に八女市に移る。
趣味は、ペーパークラフト(いわゆる工作系)。運動オンチな明るいインドア人間。
声が大きいのが特徴。O型。
英会話教室「ハッピーデイズイングリッシュハウス」主宰。
東兄弟印刷(八女市)発行の月刊情報誌「クラッシー」に“ハッピーワンポイント英会話”を連載中。

大学生活~就職、そして結婚

筑紫女学園高校より西南学院大学文学部外国語学科英語専攻へ入学。英会話は幼少期より興味を持って取り組んでいたこともあり、自然な流れで(あまり考えていなかった)英語の道を選ぶ。けれども、大学の英語の授業は、眠たくなるものばかりで、実際、ほとんど寝ていた。


在学中、縁あって米カリフォルニア州サンディデゴに短期語学留学をする。アメリカ西海岸の大らかな文化をたっぷりと吸収・満喫して、英語でのコミュニケーション能力をもっと高めたいと長い眠りから目が覚める。その頃から、将来は「英語が話せるお母さんになる」と思っていた。


さらに、4年時に入った宮原ゼミで、コミュニケーション学→飲みニケーション学を体得。そこで初めて自分の無類のビール好きに気が付く。両親ともにお酒を飲まない家庭で育ったので、自分がビール好きな体質であることをそれまで知るすべがなかった。ゼミのコンパでお店のビールの在庫がなくなるまで皆で飲んだのも、今では楽しい思い出のひとつ。


就職活動をする時、英語を使う仕事に就きたいと希望しながらも、ビジネスで英語を駆使するには未熟であることを感じて、それならば、自分の好きな商品を売る営業ウーマンになろう!と決断。その時思い浮かんだ商品は、ビール、コーヒー、チョコレート(すべて食べ物系)。


結果、91年、株式会社アサヒビールに女子総合職の2期生として入社。配属先は九州支社となり、担当は筑後地区に決定。ビールに囲まれた夢のような環境の中、新入社員として日々汗と涙を流しながらも、大いに笑って、大いに飲むという非常に濃い3年半の営業生活を送る。この間に今の夫と仕事を通して出会い、93年に結婚。


94年にアサヒビール退職後は、英語を使う仕事に就きたいという長年の想いから、子供英会話の講師を派遣する会社に所属。子供の興味を惹きつける楽しく効果的なレッスンをするために、毎日試行錯誤を繰り返しながら、レッスンプランの作成や教材作りに励む。95年に長女・美奈海(みなみ)を出産。同居の夫の両親の協力を得て、出産後も仕事を継続。

ハッピーデイズイングリッシュハウス主宰となる

そんな中、八女在住(当時)のアメリカ人のミキから「一緒に自分達の英会話教室を始めない?」と持ちかけられる。

 

当時、彼女と私は、英会話の個人レッスンの指導者(ミキ)と生徒(私)の間柄で、また八女に越してきて初めて親しくなった友人でもあった。二人の前向きな性格ゆえに、話はトントンと進んでいき、97年「ハッピーデイズイングリッシュスクール」(現・ハッピーデイズイングリッシュハウス)を設立。彼女とともに英会話教室の共同経営者の一人として、教室の運営、指導にあたるようになる。生徒40人からのスタートだったが、一時期は生徒数180人を超すマンモス教室に成長。現在は生徒数100人前後を推移。


99年に長男・泉里(せんり)を出産。幼い子供二人を育てながら、夕方に集中する英語のレッスンをこなすのは、非常に大変・困難ではあったが、家族の理解と協力で現在に至る。

チャレンジショップにて「絵本カフェ・メイメイ」をオープン

二人の子供へ、毎晩、絵本の読み聞かせをしているうちに絵本に対する興味、関心を強く持つようになる。「絵本は芸術」今でもそう思っている。


2001年、八女市が街並み再開発の一端としてチャレンジショップへの出店者を募集しているのを知り、直観的に「絵本のお店をやりたい」と意志を固める。友人に相談を持ちかけ、二人で「絵本カフェ・メイメイ」を“チャレンジショップ白壁”にオープンさせる。2坪ほどの狭いスペースに、子供向け絵本を常時100種類ほど展示販売。手づくりのクッキーとコーヒーを提供して、ミニカフェ兼絵本屋さんという空間を実現した。

 

この時、英会話教室の運営も並行しながら、長女が6歳、長男2歳という子育ての真最中でもあり、今思うと、若さゆえの馬力だったなぁと感じる。このチャレンジショップは、市との1年の契約期間を終了して閉店。現在も、自宅には200冊を超える絵本があり、時代を経ても大切な宝となっている。


お気に入りの絵本の中でも一番好きなのは「とべバッタ」偕成社・田島征三作。いつも草むらのかげで敵におびえながら生活していたバッタが、ある日勇気を出して草むらから出る決心をする。予想通り敵から狙われ、危機一髪のところで自分の背中についている羽に気付く。そして、その羽根をはばたかせて大空高く飛び出していくという物語。

 

普段の生活で何か大きなことに迷った時、よくこの絵本を思い出して「やってみなくては自分の背中の羽根に気が付かないこともきっとあるはず」と思って進むこともしばしばある。

夫が病気になる!

その後、英会話教室一本で走り続けることになるが、2008年の夏、我が家を揺さぶるような大きな出来事が起こる。


会社員だった夫が、体の不調を訴えるようになり、病院で「うつ病」と診断される。それまで、うつ病というのは心がふさぎ込む病気とばかり思っていたが、夫は、頭痛や動悸、血圧の上昇などが目立ち「何かよくない病気だったらどうしよう」と心配していたものの、心因性の病気だったとは、本人はもとより家族も驚いた。夫はその4カ月後に20年間務めた会社を辞めて、2年にわたり自宅療養となる。


私は、妻として、夫がそこに至るまでの変化に気付いてあげられなかったことをとても後悔しながら、子供達の母親として、また同居する夫の両親の嫁として、そして、ハッピーデイズの主宰として、これまで通り明るく元気に立ち振る舞うことで、なんとか家族の生活を保とうと毎日を過ごした。けれども、一人でお風呂に入っている時、夜、家族が寝静まった時、その時だけは気持ちが緩んで、溢れる涙をこらえることができず、不安でつらくて声を殺して毎晩泣いた。


それでも、つらいことばかりではなかった。夫と二人でこれほど長い時間を一緒に過ごしたことがあっただろうか?とよく思った。それまで、朝から一緒に過ごすのは休みの日ぐらいで、子供が生まれてからは、いつも子供が一緒だったから、夫婦だけで朝からずっと一緒にいることなんてめったになかった。だから、二人で過ごす時間は神さまがくれた贈りものだと思って、一緒にランチに出かけたり、ドライブを楽しんだり、たまには飲みに行ったりしながら、毎日ほとんどを共に過ごした。

 

先の見えない日々を送りながらも、将来、この時間を振り返った時に「この時があったから今がある」と思えるようになればいい、そう思うようにしていた。今でも、この2年間は、夫婦とは何だろう、家族とは何だろうと極めて根本的なことを見つめ直す長い時間だったように思う。

「ダブルレインボー」設立

そして、2010年6月、夫の体調も順調に回復して、さて、これからの人生設計をどうしようか、と考え始めたところに「クリエイト・ア・ブック」の代理店募集を知る。もともと絵本が好きだったこと、アメリカ発祥の商品ということで英語が生かせる予感、得意のギフトラッピングも取り入れられる、いろいろな想いが瞬時に心を駆け抜け「これをやってみたい」と強い関心を持つ。


東京のクリエイト・ア・ブックジャパン本社へ説明を聞きに行く数日前に、一人たまたま通りがかった博多の櫛田神社でおみくじをひいた。祈るような気持ちで開くと「大吉」。そして今後の運勢が「竜が昇るがごとし」と書いてあるのを読み、心の中で「よっしゃー!」と歓喜の声をあげると同時に、涙があふれてがまんすることができず、境内で声をあげて泣いた。たかがおみくじ。されどおみくじ。それまでのさまざまな想いが交錯し、幾粒もの涙となって流れ落ちた。


本社へ説明を聞きに行く前までは、私一人で、ハッピーデイズと並行してオリジナル絵本の仕事をできないものかと思案していたが、結果的に、夫と会社を設立して、本格的にオリジナル絵本のビジネスを始めることになる。


社名を考えた時「ダブルレインボー」しか思い浮かばなかったと言っても過言ではない。パーソナライズドブックは、絵本をもらう方にとっても、絵本を送る方にとってもダブルのサプライズを与えてくれる素敵な贈りもの。もし、雨上がりに虹を見つけたら「あっ、虹が出てる!」と、思わずうれしくなるし、もしそれが、めずらしいダブルレインボーだったら…?驚きとうれしさは、格別のものへと変わるはず。レインボーステイトと呼ばれるハワイでも、めずらしくてラッキーなダブルレインボー。世の中に素敵な絵本はたくさんあるけれど、その中でも、さらに格別な一冊を届けたい。憧れてやまないハワイに想いを馳せながら、ダブルサプライズ、好きな数字の2(ダブル)、そして夫と二人三脚の夫婦の意味、そんな想いを込めて名付けた社名。


人生、本当に何が起こるかわからないものだな。今は、笑顔でそう思う。

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